How to Have More Focused
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デスノートの第一話を見た。
悪人の名前をデスノートに記入すると、その人は40秒後に死亡する。
最初は凶悪犯の名前を記入したが、直ぐに対象が広がってしまう。その人にとって悪い(とみなされる)人はどんどん死亡していく。結局、個人的的に気に入らない人を自分の理屈と都合だけで抹殺していくというもの。
さて、これを現代の私から見える世の中になぞらえてみる。
私は、今の社会が一部のエリート官僚によって独善的にコントロールされていると感じている。選挙で選ばれたわけでもないのに、EU委員長やダボス会議のコーディネーターらが関係国の政治的な方向性を提言という形で決めていく。あたかも正しいような内容を提言として纏めながら、結局は国ごとの多様性よりも統一的な見解と行動をそれぞれの国民に押し付けていく。
そういう社会って嫌だなと思っていたけども、それを強く否定していくと、究極的には先に挙げたデスノートで世の中を自分勝手に粛清しようとするその主人公と同じ結末に向かっていく。いわゆる気に入らない奴は抹殺。
ということで、結局、今の社会システムが良くないととか、かのリーダーは退陣するべきだとか頭の中で考えること自体が不毛だし、はっきり言えば、間違ったメンタリティだとわかる。
心の中に不満を持つことは、結局は気に入らないやつをこの世から抹殺するメンタリティと同じということ。
世の中に憤っても、それ以外にできることがないなら、考えても心の疲弊を引き起こすだけ。具体的に出来ることを見つけて着手するか、さもなければ自分の周りにある“感謝するべきこと“に集中したほうが良い。
世の中に憤っても、その首謀者らしき人を根こそぎ抹殺できるわけではないし、そうするべきではないから。
15「彼らは自分と意見の合わない人を憎み、すぐに殺す。16彼らの行く所ではどこででも、
悲惨な結果とめんどうな問題があとを絶たない。17彼らは一度も心の安らぎを感じたことがなく、神の祝福を味わったこともない。」(イザヤ59・7-8)
18「彼らには、神を恐れて悪事から遠ざかろうとする気持ちなど、少しもない。」(詩篇36・1)
世の中の不正とか不平等さとか、自分ではどうしようもないことだけど不満とストレスを感じることは時々ある。
ローマ人への手紙 3
本日の20代に見える牧師さんは私に問いかけた。システムが悪いから世の中は悪いのか?
そうではないと言う。人は皆、神様から離れて生きているが、そのことに気づかないまま世の中を生きて行こうとする時に、問題に巻き込まれていくということだった。
物事の良し悪しを判断する指標が他人によって語られ、まるで正しいことが皆の合意事項であるかのように決められ、同調しないと意識の低い人になってしまったりするので、無意識に同調して自分の考えとして取り込んでいくから。でも、それらは悪意や性欲とその他の欲望を上手に隠して奇麗な言葉で飾っていることもある。人の心の内側は隠されているので、見ることは誰にもできない。
2000年前はホモセクシャルは罪の一つとされていたが、今はレインボーの旗を振る人を称賛するような雰囲気と共に、まるで良いことのように変わってしまった。神の残した聖書の言葉から離れて、自分たちの意見と論理で物事の良し悪しを決めた結果が今の世の中の多くを決めている。良いことも悪いことも。
それでも、人のことに文句を言うことにエネルギーは自分の時間を使わず、それらを知ってますます聖書の言葉に自分を従わせて行こう、そうすることが唯一の平穏な生き方を貫く方法だ、ということだった。マタイ3章の16-20節を読み返そうということだった。
幼い娘が難病にかかり、高校生までは生きられないだろうと医師から診断された母の話をTed Talkで聞いた。
病気の深刻さを知らされ絶望しつつも、学校生活を健常者と同じように送らせようとチャレンジしたことがきっかけで、幼い同級生の子供たちから優しく助けられる姿を見て、今の時間をもっと美しいものに変えられると感じた、と話していた。
目の前の娘が独りでは立つこともできなくなったけども、水に触れたり、馬に触れたりするのを喜ぶ姿を見ていると、人が持つ強さというものの美しさに気づいたし、これは絶望ではなく希望のような感覚なのだと言っていたように感じた。
希望って何だろう?と考えるとき、私は未来の様子を描こうとする。
でも未来に命が絶たれることが分かっている場合は、どうだろうか?
未来に絶望が待っていると考え続けたら、現在から未来までの道筋に希望を持つ生活を作るのは難しい。
でも、今を絶望しないようにする方法があるのだと気づいた。
いま抱えている状況が明日になっても良くならず、むしろ悪くなる一方だと思えるなら、そのことで思い煩っても今日が暗い一日になるだけ。
それよりも、不足を認識しつつも目の前にいる家族や隣人、散歩道などのちょっとでも明るい部分に気づいて、それを一緒に喜べるようにしたい。
結局、人にできることはそのような事しかない。
できないことを考え続けて落ち込むよりも、今ある小さくても大切なものに目を向けて生きていくしか、結局私にできることはないのだと気づいた。
命は、どんなに思い煩っても生きられる日数を自分では延ばせない。
その点で、人は無力。
人も羨む大金を貯金してこれをしようと鼻息を荒くしても、もしかしたら明日交通事故で死ぬのかもしれない。
この点でも、人は無力。
明日のことに思い煩うよりも、今日できること(してあげられること)や、やってみたいこと(やらせてあげたいこと)に目を向けるしか、結局、人にできることはない。
マタイによる福音書 6章 27節と34節
27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
あなたがたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできない
マタイ 5章 36節
朝4時になったらベッドから出て仕事に出ていく、1年間なんとかやれていたことが徐々にできなくなっていく経験をした。
家族を支えるために働く、今まで当たり前のようにできていたことが、できない。
今日だけは事情もあるし仕方ない。。。と安易に理由をつけて仕事を休み、その後も悪い状況は続いた。1週間、2週間と言い訳けの朝の葛藤は長引き、気がついたら外に出ることも嫌になった。
寝すぎて枕が痛く感じる。長時間寝すぎて気持ち悪い感覚。床ずれする寝たきり老人はこういう感じなのだろうと分かる。
カードの支払期限のことが頭をかすめても放っておく。後々損することになると分かっていても、今は何もしたくない。仕事を休めば収入が減る。だけども、今日だけ、今週だけ、今月だけ、と考えながら布団の中にいる。
無気力になると、頑張れないことも仕方ないことと考え、何もしない。ただ楽な方に流されていく。
楽な方に流されていった先の究極の場所は死だと思った。
最初は挽回可能な範囲での堕落、そのうち、挽回に必要な気力がなくなって挽回できるだろうけど挽回しなくなる。体も細くなり、それが気力をさらに弱めていく。
楽な方向を選び続けると、最後は破綻、無気力の極みは死。分かっていたつもりだが、悲惨な状況に陥れようとするサタンの誘いには自分では気づきにくい。
ところで、サタンには直接的に私の体を動かす力は与えられていない。
私にも、楽な方向に動いていくとき、エネルギーは要らない。落ちていく流れに乗るだけ。
結果として、サタンは私を穴に誘い出せたことになる。
独り部屋の中で落ちていくときは何も力は要らない。ただ、追い詰められてることはわかる。
落ちた場所からもと居た場所を見上げると、簡単には戻れそうにない高みに見えてしまう。そしてまた少し絶望感が加わる。
妻に弱音を吐いた。ネガティブな言葉は口にしない性格だったが、弱音をそのまま垂れ流した。
静かな川沿いを歩きながらだったので、適度の運動にもなった。動かずに部屋にこもるのは気が滅入るだけ。わかってはいたけど、なかなか外にでれなかったので、その点は良かった。そのあと、図書館に立ち寄って2冊ほど本を借りて帰った。何もしたくない状態から少し改善した。
妻いわく、
働く気力がでないというけれど、それは希望がないからでしょう? 自分のことは自分しか解決できない、自分しか頼みどころがないと考えているからでしょう?
あなたは、神様から離れて独りで思い煩い、希望が無くなったと決めつけているように見える。
あなたにはまだ動ける体があるでしょう? (妻の父はほとんど歩けなくなり、寝ながらスマホも長くは続かなくなった)
それほどに深刻な問題を抱えていると思うなら、今がどん底だと思えばいい。そして這い上がる方法を考えましょう。
週に$2,000稼ぐとか考えず、朝7時に起きて一緒にご飯をたべ、夜6時まで働けばいい。家計に不足がでたら、その時は貯金を使いましょう。
今年は、まずは人生をリセットしましょう。引っ越して、友人関係もリセット。今ある家は売却してローンなしの生活をスタートさせましょう。
今できていないことを思い煩っても、何も良くならないことぐらい分かってるでしょう?
それよりも、最低限やれることをやって、毎日を明るく過ごし、あとの結果は神様に委ねましょう。
そういう話だった。
図書館で借りた本(黄金の60代)
郷ひろみが描いた本を読んだ。こらからの60代を大器晩成の人生として仕上げるという書き出しの本で、希望を見つけるよいお手本となったし、久々の日本語での読書となったので、良い気分転換となった。
気づいたこと・・・
大人の人生は若い時期(20代)と若くない時期(30代~70代)の2つの区間があるという。
第一の区間は若さゆえにちやほやされるし、それなりに楽しいけども、そのあとの第二の区間は、実力と経験知で競り合い、実力・人の運・時の運などでふるいにかけられながら、人ぞれぞれ良い思いをしたり、悔しい思いを味わう。
日々、何もしなければ人生は自然と下降曲線を描く。結局のところ、毎日のコツコツの努力が大切だよ、という内容が骨子だったと思う。
第二の区間に入ったら、後半人生のピークが60代に来るように計画を立てるという考えは正しいと思う。
さて、私は60歳までに何を新しく始めるか?
体幹の強化トレーニング、生活・仕事で活かす英会話のトレーニング、アメリカでの就労資格やキーワードとしての学習、投資・起業のアジャイルな取り組みなど、考えてみた。
聖書の一句。
うしろのものを忘れ、前のものに向かって進み、(13節)
ピリピ人への手紙 第3章
(中略)
到達したところを基準にして進むべきです。(16節)
過去のことにとらわれず:2つの大企業で活躍したし、成果も出したし、高い給与も得た。これらの観点は人の世の価値観に基づく、人の評価。
前のもの:人の世を終えて私の霊魂が移動し生きる新しい場。これは今感じることができる価値とは違う。聖書に書いてあることに(今の世の)人生をかけるということは、過去の価値観とこれからの価値観は異なるということ。
お金や人からの賞賛を求める価値観に振り回されないぞ、と決心する。
聖書が約束する世界は今は理解できないけども、確かにあるものとして望みをここに置く。
ここが到達する場だとして、そこを基準にして今日やるべきことを考える。逆引きのスケジュール。