もう明日の希望がないと感じたとき

幼い娘が難病にかかり、高校生までは生きられないだろうと医師から診断された母の話をTed Talkで聞いた。

病気の深刻さを知らされ絶望しつつも、学校生活を健常者と同じように送らせようとチャレンジしたことがきっかけで、幼い同級生の子供たちから優しく助けられる姿を見て、今の時間をもっと美しいものに変えられると感じた、と話していた。

目の前の娘が独りでは立つこともできなくなったけども、水に触れたり、馬に触れたりするのを喜ぶ姿を見ていると、人が持つ強さというものの美しさに気づいたし、これは絶望ではなく希望のような感覚なのだと言っていたように感じた。

気づき

希望って何だろう?と考えるとき、私は未来の様子を描こうとする。

でも未来に命が絶たれることが分かっている場合は、どうだろうか?

未来に絶望が待っていると考え続けたら、現在から未来までの道筋に希望を持つ生活を作るのは難しい。

でも、今を絶望しないようにする方法があるのだと気づいた。

いま抱えている状況が明日になっても良くならず、むしろ悪くなる一方だと思えるなら、そのことで思い煩っても今日が暗い一日になるだけ。

それよりも、不足を認識しつつも目の前にいる家族や隣人、散歩道などのちょっとでも明るい部分に気づいて、それを一緒に喜べるようにしたい。

結局、人にできることはそのような事しかない。

できないことを考え続けて落ち込むよりも、今ある小さくても大切なものに目を向けて生きていくしか、結局私にできることはないのだと気づいた。

聖書の一句

命は、どんなに思い煩っても生きられる日数を自分では延ばせない。

その点で、人は無力。

人も羨む大金を貯金してこれをしようと鼻息を荒くしても、もしかしたら明日交通事故で死ぬのかもしれない。

この点でも、人は無力。

明日のことに思い煩うよりも、今日できること(してあげられること)や、やってみたいこと(やらせてあげたいこと)に目を向けるしか、結局、人にできることはない。

マタイによる福音書 6章 27節と34節

27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

あなたがたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできない

マタイ 5章 36節